ぼくは人間じゃないんです。

ストレスの捌け愚痴とか、スペクトラム的日常の困りごと

人間の感情

私は、人の感情があまりうまく理解できていません。

相手が「怒って」いるのはわかるのに「何に」よってそうなっているのか、全く理解できないときが、多々あります。

それだけではなく、「どうして」その事に「怒る」のか、もあまり理解していません。

簡単に言えば、人間の感情や心理が理解できないのです。

そのため、よく他人を不快にしてしまったりします。

仕事は転々としているどころか、面接に引っ掛かることもありません。恐らく履歴書の段階で普通ではないのだろうと思います。運よく面接に行っても、その先があったことがありません。つまり、採用されたことすらないのです。

 

私は、なるべく人を不快にさせないように気を付けているつもりなのですが、そのかいもあまりなく母からはよく「あんたは、本当に嫌な子だ」「嫌らしい言い方ばっかり」と、言われてしまいます。

元々、母とはあまり相性が良くないらしく別に私は特別そのことを気にしたことはありませんでした。そもそも、私は誰かに好かれたいとか気に入られたいと思ったことがあまりなくただ、相手を不快にさせないようにとばかり思ってきたので自分が他人に対して好意を抱くということは全く持って夢のまた夢です。そのせいか、よく学生の頃は「覚めている」「腹黒い」と言われていましたが、別に覚めているつもりも腹黒いつもりもないのですが、まあ、そんなもんかと思っていました。

ただ、母は昔から祖父母に放っておかれた、妹たちも仲間に入れてくれなかった、と異様なほど構ってほしい愛してほしいという願望が強く、まるで自分だけが可哀そうな悲劇のヒロインだと思っているような人でした。今でも、そうで構ってもらえるためなら、意味のない買い物をして借金を作り、かと思えばあちこちの病院に行き薬を飲みまくり救急車で運ばれたりしています。そんなことをすれば、当然、家族は母に愛想をつかしていますし、自分の両親である祖父母も妹も、母をあまり好いてはいません。

それなのに、自分は頑張っているのに周りが認めてくれないと嘆く母はいったい何がしたいのか、私には全くわかりません。

しかし、そんな母を見ていると私は普通の人間でなくて良かったな。なんて思うのでした。あんな風に他人にばかり自分の評価を委ねるなんてなんのために生きているのかわからない生き方を私はする術を持たないので、そこはスペクトラムで感謝しているのです。