特になにもないですが、あっという間に新年になりました。
今年もつれづれと心に浮かび行くよしなしごとを書いていきますのでよろしくお願いします。
さて、さっそくですが、つい昨日、年末恒例の紅白をみていて「まちがいさがし」と、いう歌を聞いていて「まちがいさがしの間違いの方に生まれてきたような」という歌詞が、なんだかとっても吾輩族っぽいなあ、なんて思ったので、その旨を申告したところ生んだ
母「そうかな。私は、母親に生んだことが間違いだったって言われたけど。」
と、例の如く謎の張り合いを見せてくる母。しかし、吾輩が言いたいのは、そういうことではないのだが。
つまり、それは母の存在が間違いだと言われているということで、吾輩が言いたいのは、間違い探しの「間違い」の方、つまり正解とか不正解とか間違いとか間違ってないとかそういうことではなく、あるべき姿とちょっと「違う」こと、何かがずれていて「おかしい」こと、を感じて生きている、感覚のことを言っていたのに、それが母には伝わらない。
母は、誰よりも自分が不幸で可哀そうでなければ納得しないタイプの人間なので、吾輩の感覚を未だに理解していない、それどころか、吾輩の感覚の違いを言っても、自分はもっと大変酷いと言い張る始末。家族に嫌われていることは吾輩も知っていたけれど、最近、母の実家の全員からも嫌われていて(しかもかなり昔から)ということを知って、自らの母ながら、この人、なんでそんなままで生きているんだろうって不思議に思っている。